はえば立て。立てば歩めの親心

「はえば立て。立てば歩めの親心」とは親の気持ちをよくとらえた言葉だと思います。

この言葉の通り、親が我が子に常に成長してほしいと思うのは当然のことです。だから学習・スポーツ・芸術でも、すべてにおいてもっとよくできるようになることを望むのも当然です。

ただ、赤ちゃんの時の「はえば…」は本能のままにできるようになっていくことですが、学習・スポーツ・芸術などは本人の努力がなくてはよくなっていくことはできません。

スポーツ・芸術は持って生まれた才能に左右されることが多く、本人の努力だけではどうにもならないことがあります。

それに反して学習は本人の努力によってどんなにでもよくなる可能性があるものです。

また、学習ができなくて損をすることはありますが、学習ができて損をすることはありません。

だからこそ、かわいい我が子の成績がより良くなるように我が子に堂々と努力をさせてほしいと思います。

以前、体験授業に参加した子の中で、現状で相当成績が低迷しているお子さんがいました。お母さまに「学習が満足にでき、成績を上げるためには、大変な努力が必要だ」とお話をしたところ、「大変なのはかわいそうだ」と言われたことがあります。

その時に「今は厳しい大変な時間が続くけれど、それをきちんと続けられたら必ず良くなるのに、もったいない。学習がわからないままでいくことの方がよっぽどかわいそうなのに」と思いました。

「獅子の子落とし」ということわざがあります。このことわざは「太平記」の中で最後の合戦になると覚悟をした楠木正成が我が子に話した「獅子は子を産んで三日を経る時、万じんの石壁より母これを投ぐるに、その獅子の機分あれば、教へざる中より身を翻して、死する事を得ずといへり」からきています。

我が子に厳しい試練を与え、それを乗り越えさせることによって一人前に育てるという意味です。愛情があるからこそ、厳しい世界で生き延びる術を教えるということです。

子供の心は軟らかく、いろいろなことを吸収しやすくできています。そういう時に「1つのことに集中できること」「めんどうなことを自らできるようになること」「それらを継続すること」を身につけさせることはとても重要なことだと考えます。

これらは今流行りの「非認知能力」そのものです。もし、幼少期にこれらの能力が身につかなかったのなら、今からでもいい、これらの能力を学習を通して身につけさせるのです。

まともな学習を始めたばかりの子供は辛そうに見えるかもしれません。でもだんだんと慣れてくれば、進んで学習できるようになります。

子供がまだ赤ちゃんだった時に「はえば、…立てば、…」と健やかな成長を望んだように、「堂々と」子供の成績が良くなることを望みましょう。

「堂々と」努力させましょう。