学業のプロ

三沢中の卒業生で、佐々木千隼くんという、プロ野球の選手になった人がいる。当時のテレビのインタビューにその人のお母さんが誇らしげに話されているのを見たことがある。

こういう人達はその道を極めるために幼いころから他のことを犠牲にして、スポーツや芸術に時間をかけて、努力をする。

お正月にテレビで高校サッカーの決勝を見たことがある。それぞれのチームの高3生の進路について紹介していた。それを聞いていて、驚いた。高校サッカーの頂点にいるような2校の選手のほとんどがプロにならない (なれない)というのだ。そんなにもプロになるということは大変なことなのか。

大半の子供たちは「学業」で将来を決める道を歩む。資格を得たり、学業成績を上げたりして、社会に出て行く。

そういう子供たちは、いわば「学業で将来を決めるプロ」だ。当然、スポーツのプロ選手になる人たちがその道で努力するように、学業で努力しなければならない。

スポーツはどんなに努力をしても「才能と努力」の両方がそろわないとプロにはなれないが、学業は「才能」がなくても、「努力」でプロになっていくことができる。

しかも「学業のプロ」は相当「ゆるいプロ」だ。

スポーツにおいてはサッカーではJ1~J3の所属プロで1,500人くらい、プロ野球選手は840人しかいない。しかもこの中でさえ年俸はピンキリだ。

ところが、「学業のプロ」の目指す先である大学の合格者は毎年、東大で3,000人、早大で20,000人、慶大で10,000人もいるのだ。少なくともこの3校だけでも卒業すれば、いい年俸を得る可能性は大きくなる。

この他の上位大学、人気大学の合格者も合わせたら、何十万人にもなる。

学業のプロには、スポーツのような「一握りの人にならないと食っていけない」ということは普通はない。

「一握りの人」ではなく、「何万人の中の人」でいいのだ。

何かやれそうな気がしないか?

なぜ「学業のプロ」を目指さないんだ?