筆算に定規?
以前の教育に関する新聞記事を読み返していた時、西日本新聞のある記事が目に留まった。
小学生の「筆算での定規使い」が、昨年あたりから話題になっているようだ。
「腕を骨折しているのに定規の使用を求められた」
「選択肢を線でつなぐ問題を手で引いたら減点された」
塾で筆算のときに定規を強要するのは聞いたことがないが、当たり前のように筆算で定規を使う子には私自身すでに何度も出くわしている。小学生だけではなく、中学生にも。
最近特に多い気はしていたが、指導の主流になってきているのだろうか。
出くわしたときの私の対応は決まっている。「使うな」
自分が子供の頃にはそんな指導を受けたこともないし、筆算で使ったとしたら、たぶん逆に教師に叱られたはずだ。
確かに、フリーハンドで直線がうまく引けない子はたくさんいるし、そういう子の場合、筆算がどんどん曲がっていき、位がずれて間違うことはよくある。(成績の良い子は曲がっていても普通に正解するが)
それを防ぐために、低学年には慣れるまで使わせるというのなら、まだ分かる。
だが、定規を使うことに慣れきったとき、いざ定規がなかったらどうするのだろう。
大人になってまで、自転車に補助輪をつけて走っている人はいない。つけることは安全だが、自由な動きもスピードも抑制される。それと同様に直線を素早く自由に描くことができなくなる。
絵を描くときは使わせないのだから、直線も本来、自由に描けるようにするのが学習指導というものであろう。
以下、その記事の中にあった定規使用擁護派に反論する。
「成績の良い子はノートがきれいで、定規を使っていた」
→塾現場では、ノートの見た目がきれいな子ほど成績が悪い場合が多いものです。見た目ばかりで中身が頭に入っていないのだと思います。見た目よりも、中身はどうか、機能的か、しっかり内容を覚えているか、を確認するべきだと思います。「ノートがきれい」にだまされてはいけません。
「正しい展開図が描けない」
→それこそ手で描けるかどうかを確認しないと、立体図形を平面図形に敷衍(ふえん)して理解できているのか判断できません。
「子供への将来的な力の育成を理解してほしい」
→ちょっと何言ってんだか分からないんですけど、逆に将来的な力を奪っていると思います。