「やればできる」

「やればできる」と聞いて、どのようなイメージが浮かぶだろうか。

語感からは、優しいお母さんができない息子(なぜか男子)に対して、どのような場面でも期待を持ち続ける、何となく未来への希望を感じる、柔らかなイメージだと思う。

残念ながら、「やればできる」という言葉を聞くと、私はゾッとする。

「やればできる」子で、ヤルのを見たことがないからだ。

「やれば…」と仮定条件がついている時点で、「やったことがない」のが明らかになっている。当たり前だが、「やったことがあること」に「やれば…」とは言わない。

「やればできる」子は、たぶん一生「やらない」

「やればできる」子は、やってみて「できない」ことが明らかになることが怖いのだそうだ。「できない」ことが分かってしまったら、本人が一番傷つく。だから「やらない」

何ごとも「やらなければ」できないことは、誰でも分かっているはずだ。

でも、「やればできる」と言われると、もう「できる」つもりになってしまうのだ。だって「やればできる」と本人が確信しているのだから。

「やればできる」は、子供本人に過度な期待を持たせて、実際にはやらない子に育ててしまう呪いの言葉だ。

「やればできる」は、本人に絶対に言ってはならない。

ではどうするか。

我が子の可能性を信じるなら、実際に「やらせる」ことだ。何が何でも。